映画 「ユリシーズの瞳」(1995)



TO VLEMMA TOU ODYSSEA
THE LOOK OF ULYSSES
ULYSSES' GAZE
(1995)

ユリシーズの瞳 [DVD]



どうにもならない時。

時間という物があるとしたら、その最先端で一番辛い時。

そういう時に出会うのは、こういう映画だったりする。


その先に一歩も進めない時が何年間も続いて、それでも止められないほど好きな事が目の前にあるのに、動けない時に、必ず助けが来る。

そういう映画の一本。



ものを作っている人なら、それが好きでやめられない人なら、心当たりがあるだろうと思う。

それは、スランプではなく、原点に還る時なのだということを痛いほど感じる時で、何も浮かばない時とは違う。

前にも後ろにも進めなくなったという状態でも、それをやめられない。


何かを作り出すことが止められないほど好きであればあるほど、原点に還るのが怖い。


この映画の「未現像のフィルム3本」は、自分の(瞳の)中にある。

だから、現像しなくても良いし、存在している必要さえない。

これから作る1本目、2本目、3本目が、きっとそれだからだ。


何かを創り続けていて、真っ白な状態に戻ることほど難しいことはない。

でも、原点に戻らなければ進めない時がある。



この映画の主人公と同じように、日本国外から(しかもその国はとても遠かった)日本に来た人が「原点に還る為」に来ていた時に話を聞いたことがある。

その人も、何かを作り出すことをしていた。

やはり、原点に還るために、それが必要だから、旅をしていた。

その人は、その人の国に帰った後に、私に作品を送ってくれた。

私は、その人の、それ以前の作品を知らない。

でも、その人が原点に還ることが出来たという事を伝えるために、その作品を送ってくれたことを、この映画を観てよく分かった。

その作品は、今も手元に大切に保管している。



その人は「原点に還っても、初心に戻っても、それまで積み重ねてきた技術は失われない。原点に還る必要がある時は、還らなければならない」と、別れ際に言った。

どれだけ回り道をしても、最初の一歩に戻らなければならないということを話された時、私はまだ、20代の半ばだった。

その人の言った事が痛いほど分かった今、私もこの映画の主人公(映画監督役)と同じように、原点回帰をする必要があったから旅をしていたのだと分かった。



私はここ数年、同じところにいても、ずっと旅をしていた。

何かを探していた。

それは、「原点」だった。


あの、ただただ無心になれるその瞬間を探し当てるのに、数年掛かった。

いや、数年ではないかもしれない。

5年以上だったかもしれない。

時間というものが存在するとするならば。







ちなみに「世にも不思議なアメージング・ストーリー」の中の「亡き妻の肖像・・霊が棲む画」も、同じように「あなたが作れば、そこに、あなたの望んだものが現れる」という内容だった。

原点に戻らなければならない時は、いくつかの事が重なる。

GO という知らせは、動き出すまで何度でも現れる。







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