TOKYO JAPAN



よくある話なのだと思います。


精神的虐待を受けていても「ここは危険だ」と感じた瞬間があって、何かの口実を作り、その暴力の渦中から脱獄すること。

もちろん、監視の目は光り続けます。

逃亡してから何十年も。

なぜなら、虐待加害者は「良かれと思い込み、躾をしていた、教育していた。面倒見てやっている」という思念から離れられなからです。

加害者は逃亡した被虐待者の行動が理解できません。

なぜなら、加害者は「自分が絶対に正しい」と信じて疑っていないからです。

ですから、私は、加害者からシたら反逆者として、益々追い詰められたのです。


被害者は逃げて、逃げて、何度も何度も逃げて、楽になりたいと願います。それも強く。

死ぬことは、私に残された最後の自由だと分かった時に、この世の美しさを知りました。

最後に、その感覚を知ることが出来てよかったと思いました。


逃げた先は、逃亡者によくある「人の多い場所」=TOKYOでした。


7年間の潜伏の間、その土地の人たちの優しさに随分助けられました。

犯罪が日常の街ならではの、理解。

自殺が日常の街ならではの、危機介入。

精神疾患患者が世界一多い街ならではの、精神的な支援と、心的外傷に対する深い理解。

どのような人にでも差し伸べる手。

(未だ、政府が「うつは心の風邪キャンペーン」を張る前の東京はこんな感じでしたかしらね。)



今、こういう「当たり前の場所」に住んでいて勝手に思うことがあります。

もう既に彼らの優しさがホボ失われてしまった場所(TOKYO)が、ずいぶん遠くに感じるということです。



私を生かしてくれた街なのに、私の知っている優しい街は消えてしまいました。

ニンゲンでいることを許さない街になってしまった。


もしかしたら、随分前のことは美しい記憶に塗り替えたくなるものなのかも知れません。

記録と記憶がズレます。困る。
 

何かがオカシイ。

生き物としての、何かがおかしくなってしまった街は、元々玉石混淆の街だったのだとは思います。

犯罪が多い=犯罪に関する理解が深い・・・という具合ですから。



元々東京に生まれ育った人、その土地以外から来た人、二世、三世、入り混じっています。

今も昔も。

そういう人達は、好きです。

なんでだろ。

「地元の人」という感じが凄く伝わってくるからでしょうかね。





「最近TOKYOがオカシイな・・・」と、思い始めたのは、情報が急激に増えた時辺りからでした。

まだ2000年辺りは、PC(パーソナル・コンピュータ)で遊んでいると「機械好き」として通ることが出来ました。


しかし、2010年前後にはスマートフォン(スマホ)が爆発的に普及したのかなという時期に、情報が大量に溢れ始めました。

そのほとんどは、まだ未熟だったように感じますが、その後の各種SNSの加入者激増や、スマホ対応のHP(WEBSITE)も開発と普及が急激に進みました。

急激な変化に対応するために、ほとんど過剰と言っても良い位の情報に対する処理機能が搭載されていなかった大脳新皮質に異変が生じたのが、その頃ではないか?と思います。

情報処理(認知)機能が混乱した脳がデジタル情報の統合に失調をきたしたと考えたくもなります。

名付けるなら、えっと「若年性ネット認知症」もしくは、ネット痴呆症とかでしょうか。ネット白痴?言い過ぎ?

統合失調症(旧・分裂病)は未だに全く根拠がなくて、どうしましょう~!という感じなのでその名前は使えないし・・・。



元々、ヒトの脳は大脳新皮質の薄い部分が他の生物とは違ってかなり余分に搭載されています。

しかし、それも、生きるための知恵を最大限利用する理由以上の能力を持つものだと思っています。

その部分が、一時混乱をきたし、その混乱を抱えたまま次世代に突入した時、脳がエラーを起こした・・・。

トッピだなあ・・・。




人口がとても多い場所では、常に緊張状態を緩和するため、脳機能エラーを制御する為にも利用していた大脳新皮質ですが、情報過剰とそれに伴う脳の混乱を抱えたまま、緊張緩和をさせていた状態がダウン(サーバーダウンみたいなもの)したと考えれば、今現在の状況が、ほんのチョットだけ理解できます。

システムエラー+バグ+サーバー負荷過剰なのに、「普通の生活」を送らなければならないのは、生物にとっては危機的状況と言わざるを得ません。


悲しいかな・・・

生き延びるための脳が、大脳新皮質以外の脳機能をダウンさせたまま暴走している。

つまり、頭では分かっているんだけど、心が追いつかないという状態です。



大量の情報は感情を除外した方が取り込みやすいです。実は。
(スマホのMSDと同じで、感情を排除すると、と~っても多くの情報を格納できます)

大量の情報を処理する脳の機能がダウンして、感情・情緒・感性・感覚・勘等の理屈では説明できないものを「一時停止」もしくは「スリープ」、「削除」もしくは「シャットダウン」するのは、致し方ないものなのかも知れません。



頭(大脳新皮質)だけが過剰に機能していると、感情などの感覚が鈍麻して「体の動きが鈍くなる」という状態を引き起こします。

体は、+と-のイオン(電気)で動いていますが、脳が過剰に稼働しているとオーバーロード(電子回路の過負荷)が生じ、ブレーカー(電圧が過剰になった時に、電気を一旦遮断するための安全装置)が自動的に落ちます。

つまり、頭だけで生活していると、次第に身体の動きや内分泌系の動きが緩慢になり、体と脳(生命)を維持するためだけのための最低限度のイオンのみで生き延びようとし始めます。



「頭では分かっているつもりなんだけど、体が追いつかない」
または、
「頭では理解できるのだが、それに対して何も感じないし、考えない」という状態は、生きているのだけれど、生命維持だけで精一杯という危機的な状態です。

危機的な状態を緩和するには、過剰な刺激が必要になります。

人工的な強い光、強い音、強い匂い、過激なものや薬物、極端な生活で、交感神経を興奮させて脳を過覚醒させ、体を動かす必要があります。

ネットの「炎上」(今もまだやってるのかな・・・)も、刺激の一つでしかありませんが、生命維持に必要な刺激なのかもしれません。




私が知っていたTOKYOという場所は、「東京」という場所でした。

ヒトがまだ、人であった場所でした。

過剰に癒やしを必要とする場所ではありませんでした。なぜなら、人が人を癒やしていたからです。


きっと、私が感じている、この感傷的な気分は、時代遅れの古代人の感覚なのだと思います。

もう、時代は過剰な情報無しでは何も出来なくなっているのかも知れませんし・・。



TOKYOが人口過密なのは、今に始まったことではありません。

しかし、東京だった頃、もっと昔、江戸だった頃、情報は口伝の場合がまだまだ多かったので、ヒトとヒトが接触する機会が非常に多かったように感じます。

そこには、感情や情緒も伴いますので、私もそこに潜伏していられたのだと思います。


私はTOKYOに恩があります。

加害者から逃亡した被虐待サバイバーでも、受け入れてくれたからこそ、今が有るのですから。

でも、頭だけで生きているヒトに対して、感情は不必要なのかなあ?と思うと、恩の返し方が分かりません。


TOKYOは、明治以降、多国籍の場所でしたから、日本語を失った私でも生活できました。

TOKYOで勉強したことは「感情を失ったら、生きていても死んでいるのと同じで危険である。頭だけで生きていると身体機能が停止する」ということでした。


これほど大切なことを経験できる場所は、他にはありませんでした。


どこも、ヒトがヒトだし、生き物は生き物として生命維持をしていましたので。



その辺り、原田宗典さん・・・書いてくださらないかなあ?

今のTOKYOを。

ナニカのフィルターを通した描写よりもクッキリと輪郭を浮かび上がらせるその手腕で・・・。ぜひ。

もういいじゃん、「いい人」や「穏やかな優しい人」を演じなくても。

電車内で爆笑してしまいながら「相当無理なさっておるなあ。でも、この作家さんがいないと、人生から彩りが消える・・・。」と煩悶しておりました。

(ホントに困ったのです。ページを捲ることも、次の一行に目を走らせることも出来ない状態で電車に揺られているって・・・。国分寺から鷹の台までの天国(地獄?)の5分間(何故か時々7分位)をいつもどう乗り切ろうかと・・・。だって、ですよ。開けたページに目を落とした瞬間に自爆(笑ってしまう)ですよ・・・。降りる駅までどうこらえるかゲームでしたが、負けて「そもそも電車に乗れない」や「なんとかこらえて、次の駅で降りて、ホームの隅で笑っていた」という・・・。二駅しか無い道のりが旅になることもしばしばでした。)

天国と地獄を分けない作家さんに、TOKYOをそのまま描いて頂きたいのです。

読みたいです。

何が起こっているんですか?TOKYOで。今。

ムネモミ・マラ~ダさんの書かれた(描いた)TOKYOなら信じます。

なんでだろ、そういうものだから。です。



*お詫び*

私がいたのは、東京都下です。
武蔵野やらそれより西の三多摩地区でございました。
ですので、正確には、東京ではなく「東京都下」です。
お詫びして、訂正いたします。すみませんっ





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