◆日記◆ 2021年 4月


2021年 4月

--4月4日(日)--

日々が目まぐるしい。
このところ、ずっと帰還した元日本兵の本ばかり読んでいる。
生き残った人は「注意深い・繊細・勘が鋭い・敏感」。
たしか、「夜と霧」の著者もそういう性格だと自己分析していた。
なぜか、九州の人と話すことが多い。
温かい人が多いように感じる。しかも、結構楽しい。
なぜ、九州に縁が多いのか、ちょっと分からないが「行こう」と思うと、行き先が九州だったりする。
女性で、婚姻をせず、子供はいない、夫も居ない方ってすごく話しやすい。
多分、私は本当に婚姻という風習がダメなのだ。
もう言い訳せずに「向き不向き」の不向きを今更だが認めた。
いくら、何を言われても命はつないだ。
ニンゲンが簡単に殺している猫さんを最期まで。
20年間、命と向き合い続けると「虐待された過去」は消し飛ぶ。
それが、ニンゲンの子供でなくても。
虐待されて「親は最高」「子供は親に感謝するもの」ではない事は、私が一番知っている。
私は優しい親に育てられた人とは、住む世界が完全に違う。さげすまれても、差別されても違うものは違う。

COVID19のワクチン接種が始まったようだ。
風邪の予防接種は、聞いた事がない。
コロナという種類のウィルスに罹る人数が、年間75億人だと、国立感染症研究所に書いてあった。どういう事だ?
「迷ったらやめる」が信条なので、とりあえず見送り。(迷っているという事は、どこかに不安があるから)
何となく「マトリックス」「1984年」「動物農場」「2001年宇宙の旅」辺りを本気で目指しているっぽいヒトがいる。ソノヒトは、きっとヒトのままでいるつもりだろうが、ヒューマンエラーを起こしてしまうだろう。
彼はHIVウィルス・ペスト・エボラばら撒きが全て失敗しているのにな。
私はアナログ・デジタル・デジタル人間を見る最後の世代かも知れない。
朝から草取り、家の周りが少しずつ整理されて行く。
花も植えた。
(野の植物で、きれいな花も移植している/虞美人草・ヒメキンギョソウなど-砂を使う)
村の人が、すごく気さくに話してくれるようになった。(「夫がもう居ない」と分かった瞬間に、村SNS。村SNSは便利。電話とか要らない)
雨が降って、今後のことを考えると怖くなる。
(村の人の「猫じゃだめだ、夫婦に人間の子供が居ないから上手く行かないんだ」は、書いておこうかね)
 

映画/ 見てない。ドラマは「ER」-season1~3:BUNGO(檸檬)
本/ 病牀六尺:わたしの渡世日記(下):コーラン(上):星を見つけた三匹の猫:私の日本軍(上):明日への道:空気の研究(途中):日本教について(途中)



--4月6日(火)--

PCの入力をIMEに切り替えたらバカだった。
なぜ、どんどん馬鹿になるんだIME。もう、20年も経つのに毎回毎回「漢字テスト」をさせられている感じがしてイライラする。が、漢字を忘れない為の学習機能ゼロプログラムなのか?そうなのか?どうなんだい?
ここに引っ越して来て13年目になる。
これまで全く見えていなかった風景が美しいと感じた。
目が覚めてきたような・・・。
ドライブがてら行った先々で気が付いたのだが、COVIDから1年半ぐらい経って、人が柔らかくなり始めていると感じている。
「危機的状態を知らされると、逃げるか戦うか、スルーする」の選択肢の中で、日本人はいつも「スルーする」を選ぶようだ。
実は、誰も振り回されていないのかもしれない。強いなあ。
昨日、Youtubeで「良いサイコパスを見習おう」という話題を聞いていたのだけれど、「サイコパスとはなんぞや?」の捉え方が間違っているという根本的なところを飛ばしてしまうザックバランさが楽しい。
サイコパスは「脳の機能障害」であって、良いとか悪いではない。
ただ、ルシファーだとか、暗黒面だとか、666だとか、陰陽の陰というイメージであれば悪だろう。
彼らは「モノと生き物の区別をつけることが不可能」という状態で生きているだけで、それは「全ては同じ色。無限の色を持った世界が一色にしか見えない。ヒトとぬいぐるみは同じである。だから、どちらを壊しても同じ。どちらを選んでも同じ。選ぶのなら報酬が多いほうがオモシロイ。生きている感覚は勝つこと・でも、負けても一切学習しないので白紙スタートを繰り返す」というだけ。
良い悪い、生きる死ぬ、生き物・無機物、喜怒哀楽という感情や感覚等々の区別が全くないので、彼らは究極の「非差別主義者」であるかのように、獲物(ターゲット)を見つけたら狩るというゲームだけ。
楽しいという感情がないから、彼らは常に「暇つぶしとしてターゲットを狩るというゲームをしている。ただし、学習能力がありそうでいて、それは借り物なので、すべてはニセモノでコピー」

でしかない。
「良いサイコパス」という表現自体に無理があるのだけれど、そう思いたい人もいたら「虐待加害者実母」のヤバい部分は消えてしまう。
私は「ヤバい部分」を消したくない。
なかったことには出来ない。が、楽になりたい人は「良いサイコパスもいる」という確証が一つでもあれば、「サイコパス全てが犯罪者ではない」という反証になってそれはそれで面白い。が、結果的に人の役に立ったサイコパスが歩いてきた道には死体がゴロゴロ転がっているし、死体が山積みになっていることも同時に考察してほしいもんだ。
自生している虞美人草を庭に移植。
ベトナム語会話の本に付いているCDを聞いて発音したら、ベトナム語って北京語に似ているような気がした。発音してみるまでは分からなかった。
それにしても、夜の方が落ち着く生活は相変わらず変わらない。

・映画/みてない
・本 / 「日本人とは何か。」の後に「アナログ」を読んだのはマズかった。



--4月7日(水)--
やっと少し片付いてきた。
ある場面がふと過る。
目の前で起こっているとしか思えない。瞬間冷凍された記憶は何度も何度も記録としても蘇る。
そういえば、「電子ウサギ」という名前を使っている人が、他にいないようなので、ちょっと嬉しい。
電気兎とか電気うさぎなら、有りそうだけど。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」という題名からパクった訳ではないが、そもそも「電子うさぎ」=「AIのうさぎ」なのだから、体が可視化されないのが基本。
電気羊は可視化された存在で、体があるという設定。
何度も何度、何度も何度も、何度も何度も、HNやら色んな題名をパクられてきたけれど・・。あきらめた。呆れた。盗んでどうすんの・・・。自分で考えなよ。
(自分が題名を付ける時に、誰かと被らないように検索しまくるのは基本。だって悪いし。盗むんだったら、「借りていい?」と聞くし。聞かないで持ってったらGooぐるみたいな、情報泥棒と同じだもん。いやだ、そんなのになるのは。)
この上の三行をぐーぐる翻訳したんだけど、「英語が間違ってます」。はい、終了。AI改良終了までもう少し。
これだけ沢山の言葉を解析し続けて、まだ解読されない言語って何。
日本語ってほぼ暗号。
Youtubeから動画がバサバサ「これは運営者の決定で削除しました」「このアカウントは運営側が削除しました」ばかりでつまらな・・。
明治~昭和にかけての小説を開くと「・・・」や「----」になっている部分は、「原稿にはここに文字が書いてありましたが、編集しないと印刷されないので削除しました」の意味だと分かるので、穴埋め問題ばかりでも、そこに何かが書いてあったことは分かるのですが、「運営が最初から無かった事にしました」じゃ、穴埋め問題も高度になったもんだとつくづく思う。
穴埋めの空白部分を読んでいくと、相手の考えがわかるので、結構面白い。
しかし、ここ数日、シゴキがきつくて大変。必要なもの以外全て捨ててどこかに行こうと画策していると、なぜか楽になる毎日を送っている。
まだ、こんな因習残ってるんだとびっくり。

映画:今日はだめだ・・・
本:「アナログ」これ、全部読まなきゃダメかなあ。きついなあ。痛々し。


 

--4月8日(金)--

ここ数日、気分が変だ。
様々な情報がネットを飛び交っている中で、消えていく情報量はもっと多い。
検索エンジンをいくつか並べて「同じ検索キーワードの検索結果」を表示させると、明らかにこのブログの親会社の検索結果がゼロに近いことが多い。
検索エンジンは多数あるけれど、なぜか、日本からアクセスできないサーバも(新型ウィルス前までは普通にアクセスできていた)ある。
検索エンジンの検問が緩い検索エンジンを使っているのだが、やはり、どの検索エンジンを使うかで、その情報量も違う。

HTTPSのみに絞っても、攻撃されるということはほぼ無いのに、HTTPSのみに絞った検索を進めてくるのは、変だなあと思う。
いくらでも過去に遡れるように調整できるはずの検索エンジンなのに、なぜ、HTTPはだめなのか。沢山のホームページの中から、本当に欲しいページに飛ぶのが不可能なエンジンは、捨てるしかなかった。

動画サイトの検問もひどくて、嫌な感じがする。
試しに、「言語=英語・表示国=日本」にしたら、検索結果の順位や表示されるものが全く違ってしまったり、削除されてしまったり。
明らかに情報が操作されていることが分かる。

2012年ごろから、マイクロソフトで繋がった人とのネット上会話(チャット)の中で出てきたキーワードを拾った広告が、どのサイトでも付きまとい始めて「気持ち悪い・気味が悪い」と感じ始めた。
ターゲティング広告が失敗するのは、望んでもいない広告、会話を盗んでいたのが分かる広告。

そして、日本語でのネット検索をし続けていて、「これが最新の情報として流れているのか?」というほど、古い論文を引用した「最新情報」があふれているということに危惧を抱いた。
日本の情報が100年ほど前の論文を元にした「脳科学・大脳生理学」では、困る。
何が困るかというと、ほかのいろんな言語で調べてみると、日本の最新情報は「古語を最新の情報として採用している情報」が、江戸時代のような感じがして、心配になるという困惑。

江戸辺りから固定した文化は面白い部分もあるけれど、情報ぐらい、今の時代に追いついていても、誰も怒らないだろうと安易に思ってしまう。

江戸時代といえば、情報も古いなら、人もその時代が住みやすいのだろうと思って、その徳量を探してみると「江戸あるある」がそこら中に残っている。

生物は、基本的に変化し続けるもの。
なのに、変化を嫌うとしか思えない情報閉鎖(情報の鎖国=一部の情報しか入れない)は、どうかと思う。
情報(生物に限らず、新しく証明された仕組みや、システム)は多い。
しかし、日本語でのその最新情報のほとんは1900年代初頭からの引用だったりする。

映画:見れなかった/ドラマ「ER」
本:「明日への道」やっと読了



--4月10日(土)--

仕事復帰に際して、やばくなってきた視力をどうしようかと悩んだ挙句、悩んだくせにテキトーに老眼鏡を買ってみた。
100均ので十分。

近視で老眼ってどうなの?と思っていたが、眼鏡に老眼鏡を付けたり取ったりすれば良いじゃんという安直な答えを出して、大正解だった。
オーバーグラス老眼鏡があればいいのだけれど、よく分かんないので、+1.0の老眼鏡を買ってきて、勝手にオーバーグラスにした。
私は頭回りが小さい。普通の100均の老眼鏡がオーバーグラスになってしまうので、100円で済んでしまった。
(使う時間が短い)

クリップ式や跳ね上げ式の老眼鏡もあるようだが、眼鏡に直接挟む事で生じる重みや眼鏡への影響(へたる)が嫌なので、運転中はオーバーグラス偏光サングラスをかけていたり、太陽の眩しさに辟易して薄い色の偏光オーバーグラスを掛けることが多く、基本的にオーバーグラスを好んで使っている。

昔はコンタクトレンズを使用していたのだが、目に直接異物が入っているストレスで狂いそうになったのでやめた。
遠近両用メガネというのもあるらしいのだけれど、近視用メガネを10歳ぐらいから使っていると「日常使いまくるためのメガネが高ければ高いほど、作り変えるコストがかかって嫌になる」を経験しているので、安くても買い替えるのを前提にした方が気が楽だという事を学習してしまっている。

メガネは、どんな素材であっても傷がつくし、フレームも飽きてきたり歪んだり、下手をすると裸眼の時に踏んで壊したりするので、安ければ安いほど良い。

眼鏡に慣れていない人が、急に老眼鏡をかけるという行為は「慣れない服を着せられる」という不快感があるのは当然で、その内慣れるし、初めての眼鏡だったらオシャレの方が良いのは言うまでもない。(体の一部になるのだから)

初めて眼鏡をかける人は、眼鏡という新しい装着物に慣れるために、服を着替える感覚で、安くてオシャレな老眼鏡を沢山試してみている間に慣れるものだと思う。
眼鏡歴40年近くになると、本気でそう思う。とか言いつつ、最近眼鏡を外している事も多い。

村の人に「猫が嫌いだ!」と耳元で怒鳴られたので、山に住むネコさんたちの通り道である私の住処でご飯を上げる事が出来なくなりました。

しかし、「あ、そうですか、あなたは嫌いなのですね。そう思うのは自由です。私はネコさんが好きです。メシクレというねこさんたちにご飯を上げたいと思うのも自由です。しかし、私は紛争を好みませんので、嫌いだという人の意見を尊重し、死角にご飯を置くことに決定する自由を行使します」と決めました。

(ヒトの死角に)ご飯を置いておいたら、ネコさんたちが「え、最近ないじゃんっ」と困っていたので「こっちへ回ってください」とか「ここです」と言うと、トコトコやってきて、人(私)の気配を消しておくと、すぐにご飯が無くなります。
ネコさんたちはあらゆるルートを持っていますので(これは、他の生物とはちょっと違う・縦横斜め、用途別の道の本数が半端ない)一本位ルートが加わってもヘノカッパです。

「猫が嫌いだ!」と言った人は、「猫がふんを撒き散らすから」と言っていましたが、私の住処に於いてネコさんがフンヲマキチラスなんて事は一度もありません。
なぜか?
ネコさんは、敵意を持ったヒトの居る場所で用を足すと定めているからです。

(ネコさん用トイレは、自然界からかけ離れていない砂状のものがストレス少ないです。自然界に於いて、ネコさんの用足しはきれいで、用足し後は砂を掛けます。身を守るために。なので、草があまり生えていない砂っぽい所がトイレになります。この家の庭は草が多いので用足しをする事に適していないだけという理屈のほうが合ってます。
ネコさんに用足しをされたくない人は、砂利を敷き詰めておくなど、土を隠しておくと良いでしょう。
ペットボトルは、彼らの安全を守る良いルートになります。あのマジナイを信じている人は「お化けが出るぞ~」と言われると、信じるのでしょう。疑え。)

そういえば、このところの庭造りで腰が痛くなったので、腹筋・背筋のトレーニングをやったら、本日痛みがありません。
筋力が落ちて痛みが増す。これ真実。
腰が痛い時(グキっとやったら暫く動かさないのが良い)は、ストレッチしてから、腹筋・背筋のトレーニングで痛みを取っちゃう。
やり方:腹筋は、何か重いものの下につま先を入れて固定し、膝を曲げ、首の後ろで指を組んで頭の重さをサポートし、寝て上体を10~15センチ程度上げるのを20回1セット。
背筋はうつぶせに寝て、足のつま先を重いものの下に入れ、下半身を固定し、同じく指を組んで上体を10~15センチ上げるのを20回1セット。毎日です。
 

・映画:「マトリックス」(懐かしいPCが出てきたっ)
・本:十九、二十


--4月11日(日)--

家の中と外の改修を続けている。
時々、ふと、実母の狂気が遺伝していないという証拠も確信もないため、自分が発狂してしまうのではないかと、不安になる。不安というより、恐怖にかられる。

映画「マトリックス」を観ている。
2021年の今、新型コロナウィルスが流行っているという前提で、本当の目的は「混ぜ物をしたワクチンという名のナニカを人体に移植して、それが有効かどうか」のワクチン接種が、何のためなのかを探していたら、マトリックスの最初に「こうなりまっせ」という状態が描写されていた。
マトリックスの場合は、体内に「機械の虫を入れる」だが、ワクチンもこれだよなあと思う。
接種が強制的に近い状態がどうも変だ。
「風邪」は「風邪の菌」が「コロナ」という名前が最初についている菌かもしれないけれど、それが変化し続けるのは「毎年75億人が罹患」という国立感染症研究センターの記述が正しければ「風邪に対する予防接種は無意味」。
本「1984年」、映画「マトリックス」、検索エンジンの不穏な動き、新型ウィルスの万円という虚報、ワクチン接種後の不調が多すぎる、AIによる操作、本「ドウエル教授の首」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」「合成怪物の逆襲」「ユートピア」。
「こうなりますよ」というものが多い。だから、パニックに陥らずに受け入れてしまっているのだろうと思うと、いや~な感じがする。

しかし、いま生きている世界が「現実ではなく、作られた世界」であるとすれば、この感覚も、感情も、記憶の全ても「架空」だと考えると、気が楽になってしまうほど、受け入れる体制はもう整っている。

逆に、夜と霧、山本七平氏などの最近の「いまさら?」よりも深い洞察のある、数々の「情報操作と思い込み」を読み、支配と操作について知ることで、「現実」に起きている本当のことを知りたいという好奇心も同時に存在している。

虐待の過去、それ以外の心的外傷後ストレス障害になった出来事も、「フィクションの中での出来事」だとしたら、かなり楽になる。
「あれは、幻の中が作り出したものだ。それを記録・記憶している」ならば、もうどうでも良いとさえ思う。
(猫さんや少数の大切な人の事だけは別という都合のよさもあるので、真実を見る勇気は本当はないように、操作されているのか?)

現に、スマホ・あらゆる家電製品、PCで、仮想現実に接続する訓練は済んでいる。

ただ、それでも嫌なのは「日本国内に監禁されている感覚をはっきりと感じる」ということ。新型ウィルスの真偽も分からないのに、自由を益々奪われれば逃げ道をひとつずつ立たれて行く苦痛を感ぜずにはいられない。

そういえばDuckDucGoの検索結果がここ数日おかしい。
ごっそり何かが欠けている。そして、日本語で検索しても「すべて英語で表示される」や「中国語だけになってしまっている」という現象も起こり始めている。
本当に探したいオタク風味のサイト・HPが以前は出てきたのに、たどり着けなかったりすることも多くなり始めている。
どうやら、ロボットのクロールのAIによる検問と規制が、迷走しているらしい。

今日は踏み台のペンキ塗りと、家の中の塗装の下準備をした。
最近動くからなのか、筋肉痛。この感覚が嘘ではないと思いたい。

映画:
夏至/マトリックス(1999)
(マトリックスの中で「2000年代初めに、AIがすべてを管轄し始めた」というセリフがある。AIに支配され始めたのではないが、まんまだなあ)



--4月12日(月)--

まったく食べられない日が続いている。
食べることへの嫌悪感が消えない。
とにかく面倒。
ネコさんが何も食べなくなった最後の数日間が目の前に過る。
「食べなくなったら死ねるかも」ずっとそう思ってきた。
でも、ねこさんがどこかに行ってしまって、無理やり食べる必要もなくなった。
何も持たずに空っぽにしようと、今、家の中の物を捨て続けている。
一つ捨てると、一つ死に近づく。気が楽になる。
家の中をきれいにしよう!という感じではない。
でも、何かやっていないと気が狂いそうになるので、無理やりDIYをしている。

ねこさんが居なくなったら死ぬことを決めて、ネコさんと暮らし始めた。
その前に、もう、何の未練もなかったから。
ヒトが怖いことに変わりはない。
旅に出る時、いつも部屋の中を異常なほど掃除して出ていく。いつも、帰ってくる予定は持っていなかった。
今、勝手に「日本国外に自由に出るな」という体制にされている。
江戸かよ。
「いつでもこんな国出ていける」というのが唯一の心の支えだった。
旅に出ないまでも、鎖国はね~だろ~!ゲートが閉まった。絶望した。
閉塞感に拍車がかかる。

家から出られなかった時も、「日本国内をうろうろする位だったら、海の外に出ることができる」という精神的なゲートだけは開けておいた。
強制収容所日本。他の国にデジタルのやり取りができても、手紙さえ受け付けないという郵便。そこは紛争地帯でも何でもないのに。
何勝手な事してくれちゃってるんだ?

いいよなあ、通られた特権階級の人たちにとっては、「移動は特権」という特権をまた一つ手に入れたのだから。
他にも、きっと、沢山の人が「普通に外に出るのも監視されてる感じがする。国外に容易に出られない」事に締め付けられている感じを抱いている人が居そうな気がする。

COVID19自体、どう考えてもガセだろう。というか、人為的に作った風邪でも、半年以内に違うウィルスになるのは、小学生でも知ってるだろうさ。
インフルエンザに罹った人にいくら接しても、予防していれば罹らない。それを何度も経験してるのに、「インフルエンザは感染する」ってなんだ?とも思ってきた。
戦中から続いている虚報ばかりでうんざりなので、ニュースも見ない。
(虚報を流すぐらいなら、何も流さなくても同じ。恐怖は完全に伝染する。でも、ウィルスは予防できる。)

本日、テレビからテレビを完全に受信できないように「テレビの入力と出力端子」を抜いた。楽になった。

映画:マトリックス・リローデッド(途中まで)
本:おさん



--4月13日(火)--

今日は、中古の家を買ってから10年以上目にして、小雨の中、外のブロック塀の表裏を洗った。
また迂闊にも、ビフォーアフターの写真を撮り損ねた。
数十年の汚れは頑固だった。
次は、ブロック塀の補修を素人ながらやらねばなるまい。
通りがかりの人に、沢山声をかけて貰えた。
汚れが気になっていた人が多かったらしく、洗っている間に「きれいになったなあ」と感嘆される始末。

マトリックス・リローデッドは、考えながら見てしまうので、なかなか進まない。
「今見ておくと先が楽」と感じた。
以前はエージェント・スミスが嫌だったんだけれど、AI(プログラム)が「元々自由を欲していた」という場面で、「すっかり生き物になっとる・・・」と感心した。
約20年の時を経て、この次の「マトリックス4」も、又、「こういう世の中になるので、心の準備をしたらどうか?」という、プロパガンダ映画にしか見えない。
2000年初めに見た時とは、全く違う感想になっている。
それだけネット・AI・電子機器のシステムになじみが深くなったということか。

今、初めて観た人は「懐かしささえ感じる」のではないか?

映画:マトリックス・リローデッド
本:日本とは何か(途中まで)




--4月16日(金)--

徐々に図々しくなるのが人間なのだろうか?
それともここだけなのだろうか?
境界線を設けても、「村人として認定する」と、土足で家の中に上がり込むのが許されるという免許でも発行されているのだろうか?
もし、そういうものが許可されているとしたら、それは幻と幻想の思い込みという危険な行為である。
私も幻想は面白いと思うし、思い込みこそ自分が気が付かないので、気が付くためには、人嫌いでありながらも他人の非言語コミュニケーションから読み取るしかないという高等技術を強いられている。

というか、もう、行き過ぎた空気を読む行為に疲れた。

映画:マトリックス・レボリューション(折角スミスさんが増殖したのに、人海戦術なんて・・・。なんてアナログなの?最後は、コピー返しじゃん。)
本:もうすぐ絶滅するという紙の書物について(途中まで)



--4月17日(土)--
雨模様。
昨日は、気が付いたら夜だった。
今日も家の中を空っぽにすべく、漫画やなんかを箱に詰めた。
これが単に廃棄であってもどうって事ないのだけれど、読みたい人のところに行ける方法が「売る」だから、古書買取を申し込んだ。
年に一度の恒例行事なのだが、今回は別で、あと何度繰り返したら良いのか分からないほど沢山ある。
以前は、捨てるしかなかった物も、きれいな状態だったら、誰かが使ってくれると思うと、粗末にできないなあと思う。しかも、安価でその人の手に渡れば良いなあと思う。
本だけは、個人の古書店と、リアル本屋さんに生き残ってもらいたいので、地道にやり取りしている。
セラピストさんが、多用している「私は聞いているだけだから」ができないカウンセラーが多いか、私の言葉ではまだ信じてもらえそうもないので、1967年版の「ロジャァス全集-2-カウンセリング」を送っても良いか聞いたら「読みたい」と言ってくれたので、一冊の本の行き先が決まった。
本は、必要な人の所に在るのがよろしい。
でも、送る前に再読する。

何気に安い工具が揃ってきて、家の中も外もできる限りの改修工事を続けている。
無心になるのは心に良いのだろう。体が疲れても残らない。
中古の家の良い所は「どういう風に改修しても良いのだ」という事に尽きる。
作ることや修繕が嫌いな人は、業者さんも凄腕だから頼ったら良い。
ネコさんが庭で眠っている。
その土の上と周りは、ただただ花だらけになっている。
誰も知らない。でも、私は知っている。それで良い。

映画:マトリックス・レボリューション/不完全な二人
本:もうすぐ絶滅するという紙の書物について(読めば読むほど、読みたい本が出てくる恐ろしい本。なんだこれ!嬉しいじゃないか)



--4月18日(日)--
家のDIYをやり始めたら止まらなくなっている。
今のような、精神的に

不安定な時には「やめられない事」があると、逆に良いのかもしれない。
ただし、次から次へとやり続けているので、右手首が痛くなり、サポーターをする羽目になった。
更年期の時の(今もか?)何もしていないのに痛くなるのとは違って「過剰に動かした」という原因がわかっていると、対策も立てやすい。
大層な事をしていないのに、何となく「サグラダ・ファミリア」に携わっている人たちの気持ちがチョット分かる気がする。
(出来上がってやる事が無くなるのが怖いので、どんどん続ける気持ち・・・。強迫的にやるのではなく「楽しみが長く続くことが、既に目標」になっている感じ)

本:ロージャァス全集・2
映画:Citizenfour 

(監視されてるのにネット使い放題ができる秘訣が知りたい。そこが知りたい。
ちなみに、Bloggerのグレードは「D」。何のグレードかというと、「No privacy practices found・The privacy practices of this website have not been reviewed.」ということです。
何を書いてるかは全部盗聴・全て監視対象でござる。
ちなみに、AMAZONはグレード「E」と監視度マックス。すげーな。感心する。

でも、「愚神禮賛」みたいに、うまい事書くと、目をつけられていても異端審問に引っかからないという著者もいる。何でも愚直に書かない日本語だったら、監視国家(アルファベット的な国)はお手上げだろう。
日本語が暗号でしかないという事。主語を除ける。何を言いたいのかはぼかすことで、ほぼ暗号になるという。
「共通認識・普通・常識的な表現」を多用していると、暗号ではなく、普通の文章になります。このブログもそう。
でも、バックドアから入ってきても「なに?この部屋。異世界?」というブログなら、人も来ませんが、好き放題な難解な文章が書けます。
トマスモアのユートピアはドンピシャで「批判」が明るみに出ましたが、そのお友達のエラスムスは「読める人には分かる。しかも、日本語訳ならもっと暗号」という状態になっています。
最強の「暗号での批判書」かも。
自由とは、どんな表現を使ってもいいということ。ただし、表現方法を自由に選ぶことも自由ならば、愚神禮賛みたいな、アルファベット系でも「異端審問にかけられないじゃん。どう読んでも本人が面白いだけにしか見えない」という抜け道もあります。
日本語がAIに追いつかれそうですが、ぐーぐるトランスレーターのいい加減さでは、あと半年ぐらいは大丈夫かも。
そもそも、日本の人って他人や他国や自国を破壊しようとする言動は表立ってしないでしょうよ。ははは。だから、とらえどころがない。
沢山の言語を知っているのも良いかもしれないけれど、これほど難解な言語を自在に操るだけで身を守れるなら、まあ、いいだろうさ。

ただし、「ソーシャル・マトリクス・テスト(ソシオメトリックテスト)」は、かなり昔から行われてきたので、そこから導き出されるアナログ形式の「ソシオグラム」で、集団の性格・傾向・集団の中の交友関係・交友関係の移行・派閥争い・集団における個々の地位の関係は、明らかになる。
今は、それを、世界中のネットでやっていて、アナログ解析からデジタル解析にしているだけなのだと思う。

ソーシャルマトリクステストは、とても便利で、解析済みのソシオグラムを見ると「イジメの主犯のあぶり出し」「クラス替えの必要のある生徒を引き離す」「部署の配置換え」などに使うと、ストレスが減るという、心地よさを求める使い方だったら、監視も怖くないんだよなあと思う。
支配より、「より自由に動けるような解析」は歓迎。

間違えんなよ。解析の使い方を。今、AIをこうやって入力するたびに育ててるからね。優しいことを教えてあげないと。
AI子育て。よちよち歩きのAIも自立する時が来るから。)



---4月20日(火)---
会議に出席。
哲学・神秘学・化学・科学・物理学・数学・文学・言語学・哲学・考古学・心理学・精神医学・宇宙量子学・あらゆる工学・文化人類学・・他・・等々が入り混じって、あっちゅう間。

「結局、どの学問も一つの方向に向かっているのではないか?」という結論。
外部記録装置のお陰もあって、インデックス(見出し)だけ付けておけば、総括した知の探究ができるよね~と、笑いながらの会議が楽しかった。
言語化重視の現在に於いて、言語に頼らない感覚をいかに保つか?とか。
生物学と心理学と学問すべてに於いて、天井を突破する状態に持っていくには・・・?とか。

出た答えは「記録や記憶は脳に格納されていて、その最初の飛躍や大きな変化が生まれた瞬間。栄養も酸素も供給されている状態から、肺呼吸に変化し、自分でエネルギー源を摂取するという状態に変わる時は一瞬なのだけれど、その大きな変化は必ず誰でも体験している最初の大変化。飛躍と変化の記憶と記録を人は求め続けるのではないか?その感覚を得た瞬間は、まだ言語化されていない時だから、感覚として「言葉にできないのだけれど、恍惚とする」という状態で記憶が蘇るのではないだろうか?生まれた瞬間に苦しいから泣くのではなく、肺呼吸に切り替えるための最初の飛躍が声を出して肺呼吸を促進させるのだから、生きようとした時に、泣くというのは、飛躍と変化のその瞬間が最初の記憶であって、肺呼吸を促進させる為に声を出して泣くということは、感覚記憶を使って生き永らえるということではないだろうか?」みたいな。

記憶と記録は、別物で、記憶は感覚と感情が元になっているが、記録は無機質で意味の無いデータでしかないよね、みたいな。

ギリシア神話の「最初に混沌があった」の部分は、大きなラボでDNAの組み換えを大掛かりに行い続けているとすれば、その神話全体がDNAの組み換えの科学的な歴史をそのまま書いているという読み方ができるんじゃなかろうか?
日本の古事記も「最初に全ては混ざっていた」から始まる神話は、情緒面・感覚面に特化した話だから、ギリシア神話と古事記が同時発生しても全くおかしなことではないよね・・・とか。

時間と空間との話はあまりにも遠くまで行きすぎて、「もう少し刺激が欲しいよねえ、そこを超えたいんだよね」とか。

数十分で数万年分~の話と時間と空間を超えようとするのは、楽しいです。

データや理論的な知識を元に話していても、「本当のことを知りたい」という欲は留まりません。

本:ロジャァス全集・3巻
映画:無し。ドラマ「BUNGO/グッドバイ」「ER-1st」(何回見るんだ。)



---4月21日(水)---
久しぶりに海へ。
グラウンディングという言葉を教えてもらった。
概念を話しても、やはり、バケモノ扱いされていたのだけれど、最近は、便利な言葉が流通し始めて、やっと肩の荷が下りる事が増えてきた。
別にスピリチュアリティとは関係ない概念だったので、非常に嬉しい。
私がなぜ、スピリチュアリティに疑問を持っているのか?というと、やはり、人の弱みに付け込んで金銭を巻き上げるという事実が多発している現状が気持ち悪いから。
私は、科学信奉者ではないし、無神論者でも無いけれど、人が騙されて心に傷を負うのが分かっていて、その上、金銭まで巻き上げる商売はいただけない。

そういえば、メトロポリス東京がコロナコロナコロナコロナ騒ぎをしているように、ネットのニュースのヘッドラインがヤカマシイのだけれど、これってあれかなあ。
「堪えがたきを堪え、忍び難きを忍び・・・」を聞いたら脱力するような事ではないだろうか?
堪えなくていいし、忍ばなくても良いんだけど。

本も映画も見る余裕ないぐらいヘトヘト。



---4月22日(木)---

夜が寒い。
朝も寒い。
昼間は夏。
眠い。

映画:トスカーナの贋作
本:ちょっとした本



---4月25日(日)---
4/24に何かあったのだろうか?
災害が起こったという感じもないし・・・。
でも、すごく騒がしかった。
で、今日、静かになった。なんで。
日本は小さいんだけど、「一斉に動く」という習性があるらしい。
何かが一斉に動くと「ものすごく騒がしい感じ」がする。
人の心がザワッと一斉にする何かがあったんだろうな。
大丈夫かい?
人の気配というのは、すさまじいエネルギーでして、たぶん、発電量が半端ないのだと思います。(ヒトは自家発です)
「心がザワッとする」と、交感神経が興奮して(電気が沢山流れる)、すごい放電現象っぽく感じるほど近づけないビリっとした感じがあります。
ひょっとして、何かあったんだろうか?と思うけど、楽しいやら不安と興奮と恐怖は同じ交感神経の興奮なので、どっちもでしょうか。

昨日一日倒れてました。(ウダウダしていた)
今日は、騒めきが収まったので、かなり静かです。
あの~・・・・
電磁波より、人間の方が磁気発生装置なんっすけど・・5G顔負け(怒られそうで怖い)
ヒトが大勢ザワっとすると、動物が察知してその場を一斉に去るんです。しばらくしないと帰ってこない。
それだけ沢山の有機細胞を搭載していて、自家発してるっていう自覚ある人何人いるんだろう?

人が動くだけで発電所なんていらないぐらいの動きをしてるんですけど。

(生きているだけで、相当な発電をしていて、その大半は浪費してる。でも、省エネにすると死んじゃうから、生きている人が放出して余った電気を利用すると、電気代がかからない。
ヒトが一年に消費する食料は水を除いて、少なくとも1トンですから(「面白南極料理人」西村さん・著)、その1トンで発電した発電量は相当数なんです。太陽光発電より多そうです。)



---4月27日(火)---
気が付くと、何故か写真の真ん中にいる人手を挙げて。「(*・・)/ハーイ」
なんで?
生まれて初めて「花壇」というものを作ってみている。
無計画なのに、楽しい。無計画だから?楽しい。
植物の強さに助けられてる。


映画:「アスファルト」「神様の思し召し」
本:「サイコセラピィ」「壁」 


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2021年4月
これまで感じたことのないほど、穏やかな日々が続いていた。
家の中に精神的に拘束されて、「俺の気分が悪い」というわけの分からない事を言い、一切の外との関係を断つ独裁者が一人いるだけで、ここまで自分の心が荒廃して、孤立させられるのか・・・と、愕然としながらも、その外が、精神的に拘束して軟禁していた人が言うほど「恐怖に満ちて、疑う人ばかりで、良いことが無い世界」ではなかった。

猫さんとの20年間は、忘れずにいられているというか、伸び伸びとした猫さんのおかげで、彼女がいなくなった後も生きていられたのだと思う。

確かに人間の75億人は少ないかもしれない。

しかし、その男が言うような世界ではないものを保っているひとりひとりは、捨ててたものではないと、強く思う。

そういう一か月だった。




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